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2015年6月4日 星期四

【天声人語】源一郎さんの民主主義論



原文:
これはおもしろいと思った。1991年、作家の高橋源一郎さんが本紙で文芸時評を始めた時だ。斬新だった。例えば「擬音の多用は下品とされるが、上品がなんぼのもんじゃい」。破格な文章に魅了された。

▼文芸時評なのに新聞の社説も取り上げた。本紙の社説をまとめて読み、その印象を「悩める人」と書いた。「あらゆることを悩んでしまうので、一つのことを深く悩む時間がなくなってしまうきらいがあることも心配だ」。痛かった。

▼その高橋さんが今度は論壇時評を手がけ、いま5年目である。これまでの分を最近、『ぼくらの民主主義なんだぜ』として出版した。自在な書きぶりは変わらない。

▼現代美術の展覧会を見に行って「ぶっ飛んだぜ!」。と思えば、重い心身障害を持つ赤ちゃんを抱いて「天使」を感じ取る。論壇の枠を超え、幅広い題材を低い目線から見つめる姿勢が共感を誘う。

▼民主主義とは何か。高橋さんは繰り返し問う。一つの答えは「意見が通らなかった少数派が、それでも、『ありがとう』ということのできるシステム」だ。意見の違う他人と、それでも「一緒にやってゆくこと」だ。今の日本政治に民主主義はあるのかと考えさせられる。

▼思えば文芸時評の最終回の題は「威張るな!」だった。互いの溝は越えられなくても、自分の立場を相手が理解してくれることはありうる。ただし、その相手に対して威張るな――。これはまさに民主主義の一つの要諦(ようてい)ではないか。高橋さんは実に一貫している。




中文譯文:

源一郎的民主主義論

個人覺得這很有趣。1991年是作家高橋源一郎開始為本報撰寫文藝評論。文筆新穎。例如「大量使用擬聲語是粗俗的,但高雅又怎樣」。脫俗的文章緊緊抓住讀者的心。

雖說是文藝評論,但也提及了新聞社論。通盤的閱讀本報社論後,寫下了「煩惱的人」。「令人感到憂心的是,總喜歡所有事情都要煩心時,就喪失了對於某一件事情深刻苦惱的時間」。戳到了痛處。

就是這位高橋先生親自執筆本次的論壇評論,至今已經第5個年頭了,並且最近把這些年撰寫的文章,出版為『我們的民主主義是什麼』,那奔放的文筆絲毫不變。

去看了現代美術展覽會後,覺得「好前衛啊!」。這麼一想,就能感受到他像一位抱著有嚴重缺陷嬰兒的天使一般,能跳脫論壇即定的框架,從低角度來關注廣泛的題材,並讓人產生共嗚。

民主主義到底是什麼?高橋先生不斷的反思。其中一個答案是「即便是意見無法被傳遞的那些少數派,仍能說出『謝謝指教』的一個體系。」即便是意見相左的人,依舊能一起走下去。不禁讓人思考,現在的日本政治中,是否仍存有民主主義。

回想起當時文藝評論的最終回題目是「別囂張!」。即便無法跨越彼此的鴻溝,也能讓對方瞭解自己的立場。但是,別用威嚇的方式啊--!這不正是民主主義的要旨之一。高橋先生也貫徹了這個宗旨。





--- 原文資料來源為「朝日新聞デジタル」,中文譯文為卡卡兔練習翻譯之產物,僅供參考 ---

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